近くの旅客 06

(昨日の続き)
 あの、皆さん、すでにご承知かとは思いますが、この項目、かなりイキアタリばったりで書いていますので、論理がいささか傾いているかもしれません。その点あしからず。
 
 そういったことで、最近の車内の新参者といえばスマートフォンということになるが、その前は携帯電話、そしてその前といえばやはり、ウォークマンを筆頭にしたポータブルミュージックプレイヤーとなる。
 その間、オアシスポケットという、一陣の風のように通り過ぎていったポータブルワープロを車内で駆使していた人もいたね。しかしワープロやパソコンで何かを作るという行為は電車の中では難しいようで、まさに朝の新幹線に似合っている。
 たぶん、50歳以下の人なら、一度はこのポータブルミュージックプレイヤー(以下、勝手にPMPと略す)を買ったことがあるだろう。(ここではモバイルプレイヤーとは書かない)かくいう私も、カセットテープ用とCD用とMD用を何台か購入した。しかし今は一台も持ってはいない。ふと思い出したけど、昔々、朝日新聞の記者と無駄話をする機会があって、そのとき彼は「ウォークマンって壊れやすいと思わないかい」と聞いてきた。ソニーの陰謀でも嗅ぎつけたのだろうか。確かにウォークマンはよく壊れた(個人の感想です)。
 話を戻す。PMPがしでかしたのは、ただ単に外を歩きながらでも音楽を聞くことができるということだけでなく、今まで部屋でしかできなかった行為が外でも可能になったという点だ。くわえて、聞き手が獲得したのは、街の風景がBGV(バックグランドビジョン・こんな言葉あったっけ)になってくれたことだ。
 もちろんこのPMPのユーザーたちはイヤホンを使う。ニューヨークのブラザーのように、どでかラジカセを肩に載せることなど、まったくあり得ない話だ。しかしその差異に気付かないか。ブラザーたちのラジカセはそれ自体が簡便な自己表現であるし、それが迷惑だろうと心地よかろうと狭い範囲ながら社会性を持っていたといえるだろう。
 それに対して、わがPMPはイヤホンを使うことによって、音楽を身体化してしまった。つまり先ほど書いたように「外を歩きながら音楽を聞く」と同時に、外が「今までの部屋」となったのだ。
 しかし聴覚を外部からほぼ遮断することは、動物が移動する場合の前提条件を放棄していることにならないだろうか。(この項目、さらに続きます)