近くの旅客 08

 ちょっとお久しぶりですが、私は元気です。
 で、またまた(前回の続き)です。


 そう、ツレが目撃した出来事でもわかるように、ただの移動手段としての電車であったとしても、時と場合によっては、乗客同士に一定の共同性が生じている。この事例のような共同性は、別の場所では残念ながら望めないだろう。もちろん皆無ではないが(参考:秋葉原での事件の際の「観客」の多さ)。
 つまり車輌に乗り合わせている人々は、一見無関係のようで、いやまさに無関係でありながらも、そこが密室であり、かつ動いているという危険性のある空間であることから、いつもは意識していない共同性が存在しているといえる。そしてそれを成立させるためには、この空間の状態を各人が認識していることが必要がなのだ。
 そこでポータブルミュージックプレイヤー(PMP)は異者となる。聴覚という外部認識機能を、自分から停止させている者は、共同性の阻害要因である。
 もちろん、今までにもボータブルラジオなどを聞いていた人はいただろう。しかし彼らは片方の耳は開けていたし、なによりPMPのように層として大量に出現することはなかった。
 PMPのブームはそれをマスとして車内に持ち込こんでしまったのだ。そこで共同性の危機が訪れることになる。だが今までの乗客も、共同性そのものを意識していないので、PMPに違和感がありながら、存在を認めざるを得ず、あいまいな嫌悪感の意味も自分でもわからないままなのである。
 そのためにPMPから漏れ出す音に対しては、強い怒りを感じてしまうのだった。その音は、まさに乗客の責務である車内状況の把握が、その当人に於いてはなされていないことの証左なのである。
 そして次に現れたのが、PMPよりもさらに強力な異者である携帯電話ということになる。(またまた続くのです)