バージニア・ウルフなんて・・・・

 昨晩、テレビで映画『めぐりあう時間たち』を観た。なかなか興味深い作品だ。じわりと心の奥底に入り込む、とでもいうのだろうか、感動作というのではない。
 恥ずかしながら、この作品で初めてバージニア・ウルフが自殺していたということを知った。映画でのそのシーンはミレイの『オフォーリアの入水』(だったっけ)をイメージさせる。直接的にはそんな場面はないのだけれど。
 と、書いているぐらいだから、もちろん一作も読んではいない。ただ映画を観終わった後で、文庫の棚に『私だけの部屋』があったので、その解説を拾い読みした。うむ、たしかに映画の題材にしたいような生き方だったようだ。
 この映画では彼女の小説である『ダロウェイ夫人』が、三つの違った舞台の導きの糸となっている。つまり最初の舞台、バージニア・ウルフの書く小説が、その後の別の時代の二つの舞台に大きく影響を与えていくのだ。ニコール・キッドマンメリル・ストリープ、そしてエド・ハリス。この三人の俳優しか私は知らないが、脇をかためる俳優たちがまたいい。
 この映画、ツレが絶対観たいというので、かなり遅くまでその放映を鑑賞したのだが、「うーむ、よくわからない。でももう一度観てみたい」といわせるそんな作品なのだ。
 だがその前にやはり映画の『ダロウェイ夫人』を観ておく必要があるだろう。幸いなことに、こちらもDVDに録画してある。
 おっと、気がついた。続けて「ライト・スタッフ」が出ている映画のことを書いていたのだ。こちらのエド・ハリスは、みごとだったといっておこう。しかしやはりエド・ハリスだったのだけど。そういったことからいうと、ニコール・キッドマンは、そのらしさを随分と消していたように思う。
 しかしなんとも困った邦題ではある。