未来のSF映画入ってます。

 (昨日の続き)
 で『禁断の惑星』、これが意外にも見ごたえ十分なのだ。
 というのも、子どもの頃には「すごいなぁ」と思ってた『宇宙家族ロビンソン』や『宇宙大作戦』なども、いま観ると懐かしさは十分にありながら、チープさはいかんともしがたい。
 その点からいうと、これらの作品よりさらに10年ほど前の1956年に作られていながら、現在の眼にもしっかりと耐えられるレベルなのだ。
 逆にいうと、精一杯に宇宙らしさを演出している多くの仕組みが、レトロっぽさを醸し出している。それが微妙に小気味いいのだ。よくいわれるように「懐かしい未来」の正道をいっているということなのだろう。
 さて、これを観ながらに最初に驚いたのは、光速飛行を減速するシーンである。交通事故の例をみるまでもなく、慣性運動を停止ないしは減速させる場合には、その慣性運動を続けようとする内容物に大きな力が加わる。光速を短時間で減速させる時には、当然それは破壊的な力となる。しかし映画ではそれを防ぐために、ちゃんと乗組員が『宇宙大作戦』の転送装置のようなモノに入るのだ。普通のSF映画ではこんなに丁寧には描かれてはいない。
 さらに『スターウォーズ』のレイア姫の3D映像と同様なものが出てくるのにも感心した。また宇宙人の乗り物というイメージが強い円盤型の宇宙船が、人類の乗り物として登場するが、これは下部がキラキラ光ることも含めて、『宇宙家族ロビンソン』の先鞭をつけたといっていいだろう。
 宇宙人が築いた地下都市にも眼を見張る。このシーンがあるおかげで、通俗的なSF映画を完全に超えることができた。この特撮は、そのアングルの巧妙さも含めて、たぶん12年後の『2001年宇宙の旅』まで凌駕するものはなかったと思う。
 さらにふと気づいたのだが、バリアーに映る怪物の姿、あの巨大「動物」が、私には映画の最初で吠えているMGMのライオンのようにも見えるのだが、はたして。
 さらに宇宙人が文明技術で精神を肉体から分離し、本能が解放されたことで絶滅したことと、さらに博士の願望が「実体化」するという深遠なテーマは、その後の多くのSF映画に影響を与えたことだろう。
 ただし、どうしても物語が物語の説明に終止しがちだったのは、残念なのだけれど。