音声の持つ想像力

 数日前に『推理SFドラマの60年 −ラジオ・テレビディレクターの現場から−』(上野友夫)を読み終えた。副題の通り、ラジオドラマやテレビドラマに携わってきた現場の人による放送史で、自分の仕事を紹介すると同時に、どのような作品がどんな背景で作られてきたかも概観できる構成になっている。
 30年以上前になるだろうか、私がラジオを聴いていた時代はドラマ番組がよく放送されていた。当時はFM番組表が載っている雑誌を買っていて、興味のある音楽をエアチェック(もう死語なのだろうか)するついでに、面白そうなドラマを聴いたり、あるいは録音したりしていたのだ。
 たまたま録音テープが残っているのでタイトルが分かるのだが、寺山修司作、佐々木照一郎演出の『コメットイケヤ』はすばらしかった。彗星の出現と人の失踪が同時に起こるという出来事がモチーフで、実際の彗星の発見者である池谷さんと声優(?)の女の子の会話、その池谷さんの素人性、そして女の子の声とのギャップがまさに輝いていた。
 でも天文ファンとしては、人の失踪と対を成すのは太陽系の彗星ではなく、外の恒星である新星にして欲しかったな。しかしそうすると登場するのは青年の池谷さんではなく、オヤジの本田さんということになってしまうか。
 他にも老人介護を取り上げたり、沈んだ戦艦が浮上してきたりと、あのころのラジオドラマはかなりヘビィだった。
 もうひとつだけ印象的なのを紹介すると、たしかあの庄司薫作で、タイトルは忘れてしまったが、神様が登場するコミカルなドラマがあった。雨の日、神様は必ず傘をさす。なぜならば神様は雨に濡れないから。濡れないのがわかると神様だとばれてしまう。その逆説がなにやら面白かった。
 と、長々と書いてしまったが、実はここまではプロローグ。この本を読んで私は久方ぶりにある作品と、やや奇妙ともいえる再会を果たすことになる。でも文章量が多くなってしまったので、そのことはまた明日以降に書くことにしよう。