地球は青いばかりではなかった。

 (昨日の続き)
 しかし残念ながら、彼女が大写しになったとき、ああまた青春のシンボルが消えていったのだ、と確認せざるを得なかったのである(めちゃくちゃ大袈裟です)。
 そういえば、隣のおじさんもその瞬間にため息なんぞをついて、しばらくすると心地よき(たぶん)眠りへと入り込んでいったのだ。
 もちろんまだまだ彼女はしっかり美人だし、カワユイのだが、あのオーラのようなものは消えて、ちゃんとロシアの大物女優という感じになっていたのだった。
 閑話休題、物語の話。1960年代初頭、人類初の人工衛星を打ち上げたソビエトはまさにイケイケドンドンの時代、アメリカに追いつかれないうちに、有人衛星を成功させなくてはならない。
 しかし試験的に飛ばしたロケットは、かなりの割合で失敗している。しかし計画は進む。ユーリ・ガガーリンも出てくる。これでいいんだろうかと、宇宙飛行士担当の医師は悩む。若い才能を無駄にする可能性の高い計画に疑問を持つ。物語が進行するに従って、彼の両親が粛清されていたことがわかる。それでも彼は国の未来を信じている。
 舞台のバイコヌール基地は、信じられないくらいにドロドロの湿地地帯。建物も設備もチープそのもの。それでもチラリと映るロケットのノズル付近はキンピカで、付近の風景とは乖離している。しかしなによりそのロケットを運ぶ貨車のたてるキーキーという音が、実態を表している。
 それでもラクダの向こうから打ち上がるロケットはリアルで、なおかつ幻想的。
 いわばこれはソビエト版の『ライトスタッフ』。でもそれにしては悲しすぎる。あるいは楽しさと派手さを除いた『太陽に灼かれて』か。そういえばスターリンの肖像を売る男が二度も出てくる。二回目の方が高いというところが面白い。さらに自転車に乗るシーンも優美である。どうして自転車に乗っているところって、こう絵になってしまうだろう。
 たぶん観客の多くは、タルコフスキー的眠りに誘われたことだろう。でも私は観てよかったと思う。お勧めはしないけどね。