当時、『私は六歳』

 またまた映画の話で恐縮だが、昨日はテレビ放映の『私は二歳』を鑑賞。市川崑監督の1962年の作品で、船越英二山本富士子が演じる夫婦が、初めての子供を育てる喜びと戸惑いを綴っている。
 二人が住むのは当時憧れの的だったという団地だが、やはり今の眼からすると、なんとも安普請であり、とにかく狭い。彼らは夫の兄が大阪へ転勤になるのを機に、母親といっしょに実家の一軒屋に引っ越すのだが、こちらの方が庭もあるし、廊下もぐるりと廻っていて、ずいぶんと住みやすそうだ。特に最後の方で夫が雨戸を閉めるシーンがいい。
 ところで62年といえば、電話もクーラーも車もない。さらに当然新幹線も開通していない。大阪転勤といっても、現在の感覚では鹿児島転勤ぐらいなのだろうか。
 解説の山本晋也山本富士子の美しさを強調して、ゆえにクローズアップが多いといっていたが、私見では夫の兄の妻である渡辺美佐子の方が魅力的である。山本富士子が訪ねていくと、生まれてあまり日が立っていない赤ん坊を、彼女は全身汗まみれになりながら湯に入れていた。そのシーンがあまりにリアルで、まるで何か別の映画を観ているようだった。そういえば、主人公の夫婦はほとんど汗を掻かなかったように思う。
 彼女のセリフもシリアスで、監督がほんとうに描きたいものがここにあったのではないか、とつい邪推してみたくもなる、そんなシーンだった。
 そして最後の月を見上げるシーン、あの浦辺粂子の顔はほとんど『月世界旅行』の月だったけど、はたしてそれを狙ったんだろうか。それに62年にしてしっかりおばあさんだった浦辺粂子、彼女はいったい何十年おばあさん役を演じたのだろうか。
 文中敬称略にて失礼いたします。