イベント運営の効率性

(昨日の続き)
  ところでイベント会場に着いて、アレレと思ったのがそれぞれの椅子の上に紙が置いてあったこと。ここに自分の名前を書いて、サインをしてもらうときに「為書き」をもらう段取りのようだ。つまりサインのほかに読者の名前もしたためていただくわけだが、こうすると誰もが「為書き」を当然のことと思ってしまうではないか。うーむ。
 さて午後4時近くに1時間弱のトークイベントが終わりサイン会となった。どうやら席の前の方ということで三列目の私はラッキー!なのだ。
 まずは一列目の人がずらりと並ぶ。いやはやみんながみんな二冊の単行本を抱えている。しかも今野敏さんはおしゃべり好きのようで、列がなかなか進まず、佐々木譲さんに空き時間ができてしまう。
 そこんところは丸善の係員が臨機応変に対処すればいいのに、列は今野さんから譲さんへの流れを堅持しているので、いかんせん効率が悪い。これでは会場の日経セミナーホールの名が廃るというものだ。関係ないけど。
 で、「ちゃっちゃとせんかい」といいたくなるのを堪えていると、三列目の人みんなに係員が近づき小さな声で何かをいっている。その意味は聞き取れないのだが意志だけを汲み取って、「私は譲さんだけです」といった。しかし他の人は二人にサインをもらうようだ。そしてそのときたまたま譲さんの前が空いていたので、係員から「ではどうぞ」の一言をもらう。
 私は自分の名前を名乗ると、譲さんはにこやかな笑顔、「いらっしゃっていんですか。気がつきませんでした」、「ええ、あの席でしたよ」、「そうですか、あがってたのかな」、「それからツイッター読んだので今回はサインはご遠慮します」、「ああ、そうか、ありがとう」といった会話を交わして、私はサインをもらわず握手だけをした。
 譲さんは自身のツイッターで読者に向けて、サインは苦手なことと「為書き」は遠慮して欲しい旨を書いていたのだ。だから私の「サインご遠慮行動」はの当然の行ないなのである。読者であれば当然ツイッターぐらいは確認しているだろう。それなのになぜみんなは「為書き」をしてもらおうとするのだろうか。私にはちょっと理解できない。 
 100名の参加者で8割がサインを欲し、一人分書くのが最低2分だとしてサイン会は最高にうまく流れたとしても、160分は掛かる計算になる。最後まで会場にいたわけではないので、実際のところはわからないけれども、もしそれほど時間が掛かったとすれば、これはやはり苦役といってもいいのではないだろうか。
 あーあ、長くなってしまったけど、まだ続きます。