カワセミに再会

 どんよりとした空の下、夕方4時ぐらいから散歩に出る。いつもの公園は人もまばら。ツレお気に入りのモスバーバーでもろもろを買い込んで、近くの公園にてパクつく。
 曇天には白い鳥が似合う。鷺の一種か、正しい名前はわからないが、池の隅の暗い木陰にすっくと立っている。
 ベンチでなにかを食べていると、いつもは鳩たちがおこぼれにあずかろうと近づいてくるのだが、今日はその姿がない。
 腹がくちたところでまた散歩を再開。ツレは先日のテレビ番組に感化されて、大また歩きを実践するが、すぐにへこたれる。そしてすぐに鳥たちのサンクチャリがよく見える場所に近づく。
 数日前の望遠一眼デジタルの砲列が今日はない。
 そうそう先日、ミネヤという司会者の番組でクリステルとかいうキャスターが一眼レフといったのを後で一眼カメラといい直していた。
 そうか、今日日デジタル高級カメラ、つまりかつての一眼レフっぽいカメラは「一眼レフカメラ」とはいわないようだ。確かレフとは、光学式銀塩カメラの時代にプリズムでレンズからファインダーに光を通した細工をいったはず。なるほどデジタル時代にそんな細工は必要ないから一眼レフカメラではなく、一眼カメラなのだ。
 納得なのだが、その名前がどうもピンとこない。
 思えば、露光時間だけミラーを持ち上げていたあの細工も必要なくなったのかと、老人は感慨に浸るのだ。
 閑話休題、高級カメラなんぞ持たない私は、鞄から小さな双眼鏡を取り出した。それを使うとアラ不思議、肉眼では見えないサンクチャリの鳥たちがいろいろと目に入っている。そうして5分ほど眺めていると、ツレがなにかいっている。
 そうそうなんとなんとカワセミが現れたのである。鮮やかな青の羽と背中、そして金色に近い茶色の腹。そのすべてがどんよりとした日差しの中で煌びやかに輝いている。やはり美しい。失礼だが先ほどの白い鳥とは比べものにならない。
 私たちはまた5分ほどその姿を双眼鏡で堪能して、デジタルデータでもなく乳剤でもなく、ただのあいまいに記憶として焼き付けて帰ってきた。また会えることを願いつつ、ちょっと足取りが軽かった。