「ほんわか」と「キリリ」

 遅ればせながら松崎有理さんの『あがり』(東京創元社)を読了。その独特のテイストを堪能し、かつて体験したことのない感覚に包まれる。
 いま突然思いついたのだけど、このテイストを「ほんわか・キリリ」と名付けることにしよう。
 この短編集の登場人物は、ほぼ「ほんわか」としたキャラクターである。どちらかというと女性よりも男性の方がその度合いは高いだろう。そんなキャラクターが、「キリリ」とした状況に対応することで物語は展開する。
 いわば、あんみつと珈琲のような、ほんわかとキリリのブレンド具合がこの短編群の魅力なのではあるまいか。
 「あがり」ではほんわかが突然キリリに見舞われる。その直前の主人公の困難がそれを倍加させているが、その瞬間のスピード感が気持ちいい。
 「ぼくの手のなかでしずかに」は「あがり」と似た展開だが、結論が出ている点で主人公の寂寥感の描写は味わい深い。これほどの孤独があるのだろうか。
 「代書屋ミクラの幸福」は全体の狂言回し的な存在だ。アクティプで陽性なミクラくんは、他の登場人物よりも積極的なほんわかだ。その結末と失恋は他の作品の沈み込むようなそれに比して、赤い花のように小さいが鮮やかな幸福であり、救いである。
 「不可能もなく裏切りもなく」は5編の中で一番長くてSF的な風味が強い。悲惨さを準備し予感があるが、結果は別のところにある。途中『アンドロメダ病原体』を思い出させる場面は、ある意味楽しい。
 「へむ」は暗闇という未知、あるいは可能性への希望か。子供たちが学長との会見であっさりと諦めるところが意外だが、それも乙な味わいだろう。
 本を手に取った時、表紙のイラストに違和感を覚えたのだが、読み終わってみるとなんとこのイラスト以外に表紙を飾り得ないと思えてくる。どうやらすっかり松崎不思議ワールドにはまってしまったようだ。
 と、書いてきてこの5編が、その連関も含めて微妙なバランスで相互補完している気がしてきた。蛸足大学ならぬ蛸足小説だとすると、あと3本は楽しめることになるのだが、あっそうか、もうNOVA6に6本目が掲載されていた。心して読まねば。