超絶想像誘導技巧

 (昨日の続き)
 そういえば、松崎有理さんの『あがり』(東京創元社)では、いろんなところで指摘されているけれどカタカナ語がことごとく排除されている。そして逆に数少ない名前のある登場人物はカタカナの表記だ。しかしそのことで重要な登場人物は漢字というやや湿っぽい(個人の感想です)属性から離れ、他にカタカナが存在しないページの中で快活に動き回るのだ、とはいえまいか。
 と、このように表記のあんばいは、かなりの程度で作品のテイストを方向付けている。まあ当たり前のことなんだけどね。
 松崎作品でいうと地名は蛸足大学周辺に限られている。遠くの場所は南とか中央になる。すると読者の想像映像が茫漠となり、ひとつの小島のように「北の街」が浮かび上がる。この「想像誘導技巧」はミゴトだ。
 例えば別の作家の作品だが、主人公の乗るクルマのメーカー名をあえて書いていない。ただドイツ製の高級車でかつてその筋の人たちが愛用したメーカーとは違う、といった表現で読者にそのクルマを想像させている。なので私はずっとBMWかと思ってきたが、単行本の表紙を見るとアウディのようなのだ。このようにたぶん書き手の意図と別のところで具体的な提示がされてしまうと、読者の想像力が阻害されてしまうことがある。まあこの場合、その登場人物の趣味が微妙に違って認知されるぐらいなのだが。
 つまりはどこまで書くかこそ、まさに書き手の腕の見せ所なのかもしれない。
 ちなみにずーーーっと前から私が書いてきたとある一文もカタカナ排除の原則に従っているのだが、どうもスカートとかシャツとかを言い換えられないでいる。困ったものだ。