天体望遠鏡への遠望 その12

(昨日の続き)
 そういえば1971年の火星大接近のブームは、また火星へのロマンを打ち砕く時期でもあった。アメリカが打ち上げたマリナー探査体が、今までも何度か至近距離から火星表面の撮影に成功させていたが、とうとうこの年には周回軌道に入って、当時としてはかなり細密な写真を地球に送ってきたのだった。それも見るとかの運河はおろか、あるといわれていたたくさんの筋もほとんど写ってはいなかったのだ。
 さて、火星大接近のときは天文雑誌を発行していた版元は、ここぞとばかりに火星観測のガイドを別札やら臨時増刊というカタチで出した。そういった雑誌には当然ながら日本における火星観測の先達たちが颯爽と紹介されていたのだ。
 その中でも強く記憶に残っているのはかなり年配の方で、鏡が30から40センチはありそうな自作とおぼしき望遠鏡といっしょに登場していた。そのページには彼が火星を観察したというスケッチが何枚も掲載されているのだが、そのどれもが昔のSF小説の表紙に描かれそうな、火星の表面を点と線で結んだような模様があったのだ。
 一度でも火星や木星を望遠鏡で観て、それをスケッチしようとしたことのある人なら理解できるだろうが、惑星はまるで水の底から眺めているかのように、空気の乱れを受けて揺らいでいる。それでも目を凝らして、点と見えるものは点を描き、線に見えるものは線を伸ばす。そして出来上がったスケッチには、具体的に点や線が現れている。でも望遠鏡の中のそれは怪しげでおぼつかなく、現れては消えていくものに過ぎないのだ。
 人は三つの点さえあれば、それを人の顔と認識するようにできている。また遠くに三つの点が並んでいれば、それを線だと考えるかもしれない。
 火星の表面の運河や運河のようなものがもその伝を免れない。
 長い期間にわたり、望遠鏡を火星に向けていた人の共通認識、あるいは共通願望として、運河のようなものが作り上げられていったのではないか。そしてそれは彼らにとって実際に存在し、まさにそのように観えたのである。三つの点が顔に見えるように。
 そういった事実とさえなっていた幻想を、マリナーは1971年にいともたやすく打ち砕いたのだった。
 しかし運河以降の子供たちには既成概念も認識も、ましてや願望もなかった。10センチ望遠鏡を向けて火星の表面に見えるのは、緑色の部分と茶褐色の部分、それに白く輝く極冠だけだった。