もう一つのセナとウィリアムズ

 アイルトン・セナの甥であるブルーノ・セナが今年ウィリアムズに移籍するという。
 そう、アイルトンが事故死したウィリアムズである。ブルーノはまだまだ一流のチームに入れるだけの力量を見せてはおらず、ウィリアムズもまた、かつての連勝チームの面影がまったく見えないほどの低迷振りである。そんな二つの波長が低い部分で共鳴したということなのだろう。もちろんその努力を否定するつもりはないが。
 彼の移籍でシートを失うドライバーの一人が、アイルトンがいた時代の唯一の証人のバリチェロだ。いや違うか、シューマッハがいる。セナが死んだ年、シューマッハは破竹の勢いでその年のチャンピォンをもぎ取っていった。セナが壁にぶつかるまで、ずっと二番手で猛追していたのがシューマッハだ。
 さてバリチェロに戻ろう。セナが決勝で死んだサンマリノグランプリのイモラでは、もう一人のドライバー、ローランド・ラッツエンベルガーが予選で死んでいる。そしてもう一人、予選中に病院に担ぎ込まれたドライバーがいた。それがバリチェロだった。病室で彼が目覚めたとき、その片隅で椅子に座っていたのが同郷のアイルトンだったという。
 私がF1中継を観だしたのは、当然のことながらフジテレビが放送を始めた1987年である。それ以降、1、2回の例外を除いてほぼすべてのレースをテレビ観戦してきた。当時は自分と同年代のドライバーも多かった。でも今では子供の世代だといってもいい。それでもやはりテレビ放映がある限りは観続けることだろう。
 たとえそれがBS放送になったとしても。