10000分の1以下の命拾い

 私の理解が正しいのかどうかわからないが、とにかくとても恐ろしいその記事を読んだのは、一週間ぐらい前だろうか。
 東京電力福島第1原発の三号機が爆発したのに続いて、四号機がその夜のうちに爆発。これがとても不思議な現象だった。なぜなら、四号機は点検中で、原子炉には核燃料が入っていなかったからだ。でもしばらくしてその理由がわかってきた。どうやら三号機から漏れ出た水素が四号機の建屋内部にも溜まって、それに引火したらしい。漏れるのにも引火するのにも唖然とするが、ここまではどうにか理解できた。
 これは大変なことだ。なぜなら、一号機から三号機までは不十分ではあっても、かなり漏れ出してはいても、だいたいのところは、あまり空気に触れる場所に核燃料がないからだ。でも四号機は違う。
 使用済み核燃料といったって、実際のところ危険性はまったく核燃料と変わるものではない。それがちゃぷちゃぷといいそうなプールに、そのまま漬かっているだけで、電源喪失しちゃったものだから、どんどんとプールの水が蒸発していくだけだったのだ。
 もしすべての水が干上がって、核燃料が取り出してしまえば、もう取り返しのつかないことになる。第1原発どころか、第2や女川などにももう人が近づけず、アンコントロールの連鎖は、放射能汚染を将棋倒しに広げていったことだろう。
 もしこれが普通のときに起こっていたら、もうほんとうに東日本全体、いや日本全体がとてつもないことになっていたはずなのだ。
 しかし結果としてなんとこの爆発が幸いしたのだという。
 この四号機はできて初めて原子炉の本格的なメンテナンスをやる予定で、中の部材を取り出すために原子炉内を水で満たしていて、しかもその工事は予定よりも遅れていて、本来なら、3月11日には終わっていたはずなのだったのだ。つまりこれも幸いだったのだ。あの4号機のもらい爆発が、放射能を帯びた原子炉の部材を一旦溜めておくために水を入れていた別のプールともども、その爆風で隔壁が壊れてしまい、うまい具合に使用済み燃料プールのほうに水が流れていったのだそうだ。
 この水のおかげで、時間を稼ぐことができたことになる。そのいわば偶然に偶然が何度も重なった結果、どうにか四号機は、最悪の事態に今のところならないで済んでいるわけだ。
 もし工事が遅れなかったら、もし三号機の水素が漏れなかったら、もしうまい具合に隔壁が壊れなかったら、まさに万一の、1万分の1以下ともいえる可能性の中で、自分たちの現在の生がある。そのことをあの記事で知ってしまったのだ。あの時の1万分の9999は、もちろん今でも私たちのまわりを満たしている。