一人迎えてくれたモノ。

(昨日の続き)
 地下鉄御堂筋線千里中央へ、そこからモノレールで万博記念公園に向かう。ホントに42年ぶりの「太陽の塔」なのだ。
 1970年の8月、私は父親とイトコの三人で東京から新幹線で新大阪に着き、そのまま当時敷設されていた電車で、万博会場の中央口に降り立つ。車窓からの風景を、中学2年生だった私は何ヶ月も前から夢想していた。それはまるで未来社会へのアプローチそのものだった。
 当時のマンガ雑誌の巻頭では、30年後の世界などと称して、未来の世界の想像図とその説明が毎週のように掲載されいた。その勢いにアポロ11号の月着陸と『2001年宇宙の旅』の公開が拍車をかけた。その流れの中に万博はあった。それらのイラストで表現されて世界が、まさに万博だったのだ。
 考えてみれば、当時の子どもたちほど、未来を感じることができたガキどもはいなかったのではないか、たとえそれが擬製の未来であったにしても。
 たぶん私は、黒焦げのアポロ司令船やソユーズのドッキング、そしてリニアモーターカーの模型を見たいというよりも、ただ未来の空間に入り込みたかったのだと思う。
 万博記念公園が近づく。あの日、空を切り裂くように立ち並んでいたパビリオン群はない。ただ大屋根をなくした太陽の塔だけが、「わが塔はそこに立つ」として迎えてくれた。(続きます)