「ソラリス・ステーション」定時連絡02

 自分の文章が掲載されている「SFマガジン」6月号をいただいて、どうゆうわけか、思いは過去に飛んでいく。
 子供の頃や、子供+αの記憶とはどうしてああも鮮明なのだろうか。中学時代にやや背伸びをして読んだ「SFマガジン」を何十年かぶりに開くと、その小説や記事の内容が勝手に浮かび上がってくる。
 そんな「SFマガジン」にまさか自分の文章が載るとは。想像力豊かなはずの中学生にも、それは想いもよらなかったことだ。
 はたしてアノ頃、何をしていたかと考えれば、打ち上げ花火をほぐして、多段ロケットを発射、到達地点がどこかのオバちゃんの井戸端会議会場だったために、回収の任に当たったヤツがこっぴどく怒られてきたり。いま思えば、ああいったオバちゃんは貴重だったな。
 既成品ロケッティをV1号よろしく飛ばしたら、その実験第1回目にして、どこかの家の屋根に乗っかってしまったり。数秒でひと月のこづかいがまさに飛んだ、ね。
 技術的裏づけのない液体燃料ロケットの設計をして、先生方を騙くらかし、何と市主催の科学展で、銀賞をもらったり。あのときの賞状は、さてどこへ行ったのだろう。
 我々の「火遊び」がバレバレになって、夏休みの生活パンフに「ロケット遊びはやめませう」と書かれたり。もう少し知恵があったら、「あれは遊びじゃなくて、研究ですからいいんですね」といえたものを。
 まあ、そんなわけで、ホーマー・ヒッカム・ジュニアの『ロケットボーイズ』には遠く及ばないものの、それなりのロケットボーイズたちは、超低空飛行のロケットの一瞬だけの飛翔に心ときめかせていたわけだ。
 そう、あの頃は一人雑誌を書いていた。夏休みの課題は「SPACE」と題して、その連番を高校時代まで続けていたっけ。
 たぶんその連番が、しばしの休載をへて、「SFマガジン」に載せてもらったといえるのかもしれない。その「受賞の言葉」では触れることはできなかったけれど、ここに当時の連中、フクヤン、サンペイ、タク、タグチ、オギタツに、「楽しかったね」というヘンテコな感謝の言葉を捧げておきたい。まあ、「なんて偉そうに」がその返事だろうけれどね。