「ソラリス・ステーション」定時連絡03

 今回、SFマガジンに載せていただいたレムの「ソラリス論」がなぜ出来上がったかというの、これが意外や意外なのである。
 というのも、その前年にタルコフスキーの「ソラリス論」を書いて、どうにかSF評論賞の最終候補にしていただいたのだが、実はそれを抜本的に書き直して、昨年の8月末の応募締め切りまでに仕上げようと思ったわけ。
 でまあ、その準備としてレムの『ソラリス』の国書刊行会版、つまり沼野さんの完訳本を読み直したのだけど、じっくり読むと、これがまた面白い。特につい読み飛ばしてしまいがちな「ソラリス学」の長々として記述を、自分の想像力をフル回転させて読むと、こりゃ、さすがに完訳版だわい、基本ロシア語版からの重訳であるハヤカワ文庫SFとは違う、と感じたのだった。
 で、もともと気になっていたのが、神についての記述。国書版には最初のほうからけっこう出てくるのだけれど、ハヤカワ文庫SFではほんの少しを除いて、最後の「別れ」の章で、初めて、クリスとスナウトの神についての会話が出てくるのだ。
 しかもその出方は異常で、まるで堰を切ったかのようにドカドカと登場する。そう、国書版にあるクリスとハリーの会話の「聖なるものに誓って」が、ハヤカワ文庫では「指きりする」になっているほどの徹底振りなのに、これゃ、なんかある、はずと思ったのだった。
 そこで、77年発行の文庫本ではなく、SFマガジンに連載された「ソラリス」を収録した68年の「世界SF全集」を、日本の古本屋でゲット、それを国書版と比較することにした。そしてまずはハヤカワ文庫の「別れ」、国書版は「古いミモイド」になっている章を開いて、その最初からじっくりと読んでいく。
 うーん、やっぱり、なるほどね。この章は同じ小説の同じ章とは思えないほど、異なるものだったのだ。さて、くわしくはただいま発売中のSFマガジン6月号で。