桜台にての奇なる談03

 考えてみると、祖母のアパートへと通じる三本の道は、すべて緩やかな下り坂だった。そしてそこを過ぎて、かつて大きなケヤキの木があったあたりから、また上り坂になっている。ブラ・タモリ的にいうと、ここは昔、小さな川か、もしくは湿地帯だったのだろう。もうマンションなどが建ってはいるが、かつては畑が南北に伸びていた。地図で確認するとその方向に沿って番地の堺が伸びていて、北側で石神井川と交じっている。
 アパートのあった場所と小さな交差点を挟んだはす向かい、ケヤキの大木があったはずの場所に建つ住宅の庭に、たまたまそこの年配の男性が出ていたので、思わず私はこのあたりに大きな木がなかったですか、と声を掛けてしまった。
 突然の問いかけに戸惑った男性も、それほど怪しいヤツでもなさそうだと思ってくれたのか、庭の道路側に木が植わっていて、名残りが塀にあると教えてくれる。しかしどうも私の記憶のケヤキはそれではないようだ。すると男性は、もっと大きいのが、2軒先の家にあったはずと、わざわざ道路に出てその家を示してくれる。なるほど、たぶんそれがあのケヤキの木だったのだろう。
 そして帰りがけにアパート跡に隣接したその名もケヤキハイツの店舗を見ると、一軒がテナント募集中、詳しくは創元不動産へ、とあったことはすでにツイッターに書いた。
 帰りは来た道とは別の道。30年前とそれは同じ。桜台通りを越えて進むと、昔は何やら洋館に似た建物があったはずだが、もうその気配さえなく、すぐに駅に着いてしまう。
 駅前の商店街は休みの日の昼間だからなのか、意外と人たくさん歩いていて、前に来たときは閉店してしばらく経つようだった喫茶店がちゃんと営業中。もちろん客も入っていて、その姿が明けはなたれたドアの向こうに見える。
 そう、あの小説の最後のほうで、勝手に使わせてもらったあの喫茶店である。またしばし不思議な気分になったが、振り返ることもなく、私はスイカで改札を抜けた。