埋め草架空対談12

A それではまあ、その時系列とやらの問題点は脇に置くことにして、その「モスクワ・エレジー」を観て、何か見つかりましたか。
C くわしくはまた別の機会にここで書くことにしますが、一つだけ取り上げるとすれば、タルコフスキーの棺にはあのルブリョフの「聖三位一体」が掲げられていたことです。何枚かの彼の葬儀の写真を見たことがありますが、そのことには気づきませんでした。このことは間違いなくタルコフスキーの遺志であったと思います。
 で、今回の私の拙文でもこの「聖三位一体」と登場人物の衣服との類似について触れているのですが、彼とこのイコンとの深い関連には、あまり触れてはいないのです。もっとしっかり考察すればまた別の深い部分に近づくことができたのではないかと、「モスクワ・エレジー」を見終わって思いました。そんな感じで、タルコフスキー理解の旅はまだまだ続くようです。
A 話は前後しますが、今回のその拙文とやらには、どんなことが書かれているのですか。
C 自分でいうのは別になんともないけれど、人から拙文といわれると、ちょっとアレですね。でもまあいいか。今回は前回掲載の最後でクリスの母親がなぜ現れて、そしてなぜすぐに消えていったのかを考えていますが、それを継ぐ形で、最後の父親との再会を論じるところから始めています。
A あの「惑星ソラリス」でも、一番やっかいなシーンですね。
C そうですね。あのシーンがどうやって成り立っているのかを、あくまで仮説として提示しました。そのクリスと父親の構図と有名な絵画との類似については、他でも少し論じられているようですが、それをブリューゲルの絵との絡みで捉えました。またタルコフスキーの諸作品で、父親と子どもがどのように描かれていたのかも考えました。
 そして次に次回作の「鏡」と「惑星ソラリス」との連関から、タルコフスキー自身と彼の家族が、映画の役どころにどう反映しているのかを見ていきます。「鏡」の構造を足がかりとして、「惑星ソラリス」の役回りがわかってくるのです。さらに先ほどいった「聖三位一体」と登場人物の衣装との類似です。映画を観たあとにすぐこのイコンを眺めれば、ほとんどの人がその中央の「天使」の衣に目が行くはずです。くわしくはSFマガジン8月号をご覧ください。
A うーん、焦らしますね。