足もまた洗えず10

 私は鉄チャンではないので、鉄道のことはまったく疎いのだけれど、昭和30年代や40年代は、東京の各路線がもっと独立性を持っていたのではないだろうか。
 それが利便性を最大の要員として、どんどん様変わりして走行距離を伸ばしていく。基本的には都心を走っている旧営団地下鉄を真ん中に、その周辺から放射線状に伸びている私鉄の二つを繋がる形が多いようだ。
 早い話、例えば東武伊勢崎線は地下鉄日比谷線を経て東横線と繋がっている。近年なにやらスカイツリーラインとかという名前に変わったらしいその伊勢崎線が、数年前には半蔵門線を経由して、田園都市線まで延びている。このときは東武線沿線の皆さんは喜び、田園都市線沿線の方々は嘆いたという。さもありなん。そしてまた目黒線である。まさに危うし東急線のオリジナリティ。
 などといっているが、実際のところ私は残念ながらその東急線に乗る機会がほとんどない。あるとすればかつての祖父の家があり、現在も親戚が住んでいる池上線ぐらいで、今回のように突然のアクシデントみたいなことがなければ、目黒線にも乗ることはなかっただろう。
 そう、私はとにかく路線図を確認して、目黒線で洗足から目黒まで出てみることにしたのだ。地下鉄と繋がっているという目黒駅は、いったいどうなっているのだろうか。