足もまた洗えず11

 そういえば、あえて秘すこともないけれど、あえていう必要もない我が母校は、ちょっとだけ辺鄙なところにあって、当時、つまりは30年以上前はあまり使い勝手の良くない都営地下鉄白金台駅が一番近くて、それでも学校まで7、8分掛った。でもこの駅を使っているのは少数派で、ほとんどが品川か五反田か目黒を利用していた。
 この不便さが5月に、もう学校に行きたくない病を発生させていた要因であったかどうかはまた別の話。しかし、ほんと5月というのはオーバーだけど、9月から顔を見せないヤツってけっこういたなぁ、ってそれもまた別の話。
 で、その頃のまだ目黒線のなっていない目蒲線の、目黒から一つ目の駅である不動前に住んでいた友人がいた。彼のおかげでその目蒲線不動前駅を知ったようなものである。しかしだぶん地図を見てみればわかると思うけれど、まあ必要以上に健脚で、売るほどに時間をもてあましているが、ただ金はないという学生にとって、その目黒から不動前までのひと駅は、乗る必要のまったくない区間だったのだ。
 あの頃の学生はただただ歩いたのである。もちろんタクシーなどという乗り物はその人生に関連するはずもなかった。今思い出すと、なにやら江戸時代の青春ドラマのようでもある。