散歩あゆめず06

 そういったやや玉虫色的でもある反核集会に対して、日本で反原発、もしくは脱原発を明確に打ち出した集会で過去最大だったのは、88年に開催された脱原発2万人集会だと思う。
 もう四半世紀も前のこと。最初の名称は1万人集会だったのが、どんどんと人が集ってきて、途中から2万人に名称が変更され、横断幕にも1という字の上に応急処置的に2がかぶさっていた。
 まだご存命だった高木仁三郎さんも、似合うとは思えないチューリップ帽をかぶりながら、終始笑顔だった。
 ただこのイベントだっただろうか、一つの出来事があった。デモというかパレードに出ようとしている集団の中に、日章旗を掲げた青年が入ろうとしたのだが、それを他の参加者が押し留めたのだ。彼らはその旗の犯罪性とやらを主張して、その日の丸を持った彼を排除した。しかしこれは大きな誤りであると思う。
 そのいざこざに割って入って、青年の参加の正当性を説く年配の方がいたが多勢に無勢であった。
 こういったテーマや目的を持ったイベントにおいて、参加者の思想や信条を問うてはいけないはずである。そもそも主催者でもない一般の参加者に、他の参加者を排除する権限はない。
 彼はそれでも人々とともに歩道を歩き、やがて解散地点近くで日章旗を下ろした。