ソラリスのストーカー11

 ところで「惑星ソラリス」にある、クリスが金属ケースに草を入れて宇宙に持って行く、という設定は、一見タルコフスキーのオリジナルのように思えるが、実は原作のレムの小説にも、それとの関連を窺わせる箇所がある。
 それを『ソラリスの陽のもとに』から引くと、クリスはハリーに「われわれは宇宙の雑草だ」、「その平凡さのうつわのなかに宇宙のすべてのものを収納できると思っている」(ハヤカワ文庫SF・255頁)といっているのだ。
 これを邪推というレベルにまで拡大解釈すると、この「雑草」とは金属ケースの中で育っていく草であり、この「平凡さのうつわ」とは、金属ケースそのものと捉えることもできる。
 そしてクリスの母親が登場するシーンの冒頭では、栓が取れたインク瓶といっしょに、草とレーニンコインが入っている金属ケースが映し出される、というわけなのである。
 ここでさらに邪推を進めると、このケースはソビエトの姿を象徴しているように思われるのだ。草が人であるとするなら、このコインはレーニン生誕100周年を向えた体制の象徴とはいえないだろうか。
 では栓の開いたインク瓶は、どこに、誰に投げつけられようとしたのだろうか。コインとしてのレーニンか、それともソラリスによって作られた母親なのか。
 ともあれ、何度も繰り返すが、そういった細かい表現も観ることができるようになった今回の「惑星ソラリス」は、繰り返し鑑賞してきた人にも、また別の発見をさせることだろう。