歯痛な記憶

 さて、でどーでもいいけど歯医者の歯無し、じゃなくて話の続き。
 リストにない名前を名のった先方は、どうやら以前の医院を引き継ぐカタチで開業するらしい、というのももっぱらコチラの想像なんだけど。
 で耳慣れないその歯医者の場所を聞くと、なあんだ、ずいぶんと前から機器だけは搬入しているけど、いったいいつになったら始めるのかわからないね、などと、散歩の途中にツレと話していたところだったのだ。
 これでまあ少しは安心する。ほかの歯医者がなかなか予約が取れないのに、ここだけは明日でもいいですよ、なんてちょっとブキミな感じではないか。でもその場所を知っていると、そのあたりは少し払拭できる。
 ということで、翌日の予約を取ると、歯の痛みはまた強くなってきた。しかし痛くてたまらないというほどでもない。というか、実をいうと、長く生きてきて、そんな痛くてたまらないほどの痛みを今まで体験したことがないことに気づく。
 いやいやそれは歯医者に限らず、ほかのことでもそうだ。子供のころは階段から落ちて頭を縫ったり、跳び箱で腕を捻って骨折したり、スクーターに撥ねられたりしたが、不思議と大きな痛みというような記憶はないのだ。
 その伝でいうならば、かなりあいまいながら小学生時代の歯医者での痛みが、この人生最大の痛みであったという、なんとも甘っちょろい日々を送っているもんだわい、という結語にもなってくるわけなのである。