看板は「恋は水色」

 所用の夜の帰り道、音楽を流しながら走るクルマが目の前で停まった。灯油の販売車らしく、すぐにどこかの社宅のご婦人がポリタンクを持って現れる。停車すると音は少し小さくなったけど、それでも流れている。
 少し歩くとさっきまでと同じ曲がまるで輪唱でもしているように聴こえてきた。どこかの建物にでも反響しているのかと思ったがそうではなく、また別の灯油販売のクルマが別の路地の先に停まっていたのだ。
 何という曲だったか。そのときしっかり覚えていたのに、もう失念している。
 今は灯油を買うことはないが、実家では何回か買うのを手伝ったことがある。母はいつも決まった業者から灯油を買っていて、そのクルマは「恋は水色」を流して売っていた。その曲が聴こえると母は道に出てクルマを停める。灯油売りのおじさんは、私がいないときポリタンクを部屋の中にまで運んでくれた。 
 「恋は水色」は母にとって個別の業者のしるしだった。でも今日聴いた二台は同じ曲。ここでは個別の識別は必要ないのか、あるいは同じグルーブ企業なのか。母にその曲名を教えたことがあるが、それを覚えていたかどうか。私も今日聴いた曲の曲名を思い出せないままでいる。