意味としての印刷ぶつ

 もちろんあくまでシロウトの感想だけれども、会田さんの作品の手法のひとつは意味のかけ合わせがあると思う。それもものの見事に異質なもの、合わさってはいけないもの、合わさりえないものを合わせるときの軋みの音のようなもの、あるいはミスマッチから滴り落ちる何か得体のしれないものが、作品のひとつのキモになっている。
 昨日書いた「鶯谷図」は鶯と梅をかけ合わせ、もともとほのかにある梅の猥雑さを、ピンクチラシで表現しているわけだが、同様なモノに「おおきみのへにこそしなめ」(漢字にするのはたいへんなので「かな」でごめんなさい)がある。これはかつての激戦地であり、今では気軽な観光地となった南の島々の旅行パンフを一面に貼りつけて、その上に藤田嗣治の「玉砕図」やイルカの集団座礁をかなり抽象的に表現し、さらに「海ゆかば」の出展である万葉集をハングルで画いたりしているのだ。
 さらにカントの文庫の哲学書の一ページ一ページに、カラフルなイラストを描いて壁一面に並べた「美術と哲学Ⅰ判断力批判批判」。この本ではどう哲学されているのかわからないが、見上げれば黒田征太郎のパフォーマンスによるイラストにも似た美しい世界が立ち上がっている。
 と、また長々と印刷物の上に広がる会田さんの作品を稚拙に紹介してきたけれど、おっとまだ大切なのを忘れていた。しかし、それはまた明日の「心」だ。