憤怒としてのゼロファイター

 そして火曜日、いつものようにBS日テレの「ぶらぶら美術館」にチャンネルを合わせると、今回はなんと会田誠展の特集ではあった。
 その中で「紐育空爆之図」の下地に日本経済新聞が使われていることを知る。つまりここでも印刷物にある意味合いを持たせているのだ。
うむ、思った以上に深い。
 この絵は数多の零戦の爆撃によってニューヨークが火の海になっているところが描かれているが、そのニューヨークの情景は遠近法ではなく、昔からの日本絵画の伝統に基づいた描写法でよっている。
 番組ではバブル末期にニューヨークの有名な地所が、日本に買い取られたことを下地に日経新聞を用いることで表していると語られていた。確かにそういった意味合いもあるのだろう。また零戦は戦闘機だから爆撃はできないはずとの指摘もあった。
 さて、このように零戦が爆弾を装着できないかどうかは別にして、最初にこの絵を観て感じたのは、そのような整合性への疑問ではなく、野坂昭如の『アメリカひじき』やつかこうへいの『戦争で死ねなかったお父さんのために』に内包している日本人の憤怒が、ここに現れているのではないかということなのである。
 その闇のパワーのようなものが、零戦のカタチとして現れて、ニューヨークを東京と同様に火の海にしたように思える。
 この絵が描かれたのは、1996年とのこと。結局、熟することのなかった私たちの憤怒はニューヨークを焼くことはなく、ただ憧れの地としてあり、またバブル熱の対象とてあるだけだった。しかしこの絵が制作された5年後、より激しい別の憤怒が大きな確信とともにそこを煉獄としたのである。