描いたものは描かれてはいなかった。

 さてそれでは会田誠展の続き。
 あのテレビ番組の「ぶらぶら美術館」を観てて、あっそうだったのかと思ったのは、この前に書いた「紐育空爆之図」と、それから「電信柱、カラス、その他」だった。
 実際にツレと観て回ったときは、ただスゴイ絵だなぁと純朴に思い、ただ一匹のカラスが「セーラー服の後ろのヒラヒラ(なんという名前でせう)みたいなものをつついているよ」とツレにいっても、「またなんか妄想してるんでしょ」といわれて、しょぼんとするだけだった。
 しかし「ぶらぶら美術館」で、その他として指の切れ端や目玉もあると聞いて自分の感覚の残念さか加減がよくわかった。このあらぬ方向を向いた電信柱の下でどのような後景が広がっているのかということまで、ぼんやりとは思っても、はっきりと認識してはいなかったのだ。
 図録を観るとほかにも何かを取り合っているカラスの一団が描かれている。この会田誠展は移動しつつ観るのがいい、なんていう意味のことを書いたけれど、それはとんでもない間違いだった。この絵の場合、テーマへのアプローチはまさに細部にあった。細部である必要があった。
 制作されたのは2012年。そう、この下には津波が訪れ、そして去って行った風景が描かれずに描かれている(あくまで個人的感想です)ということになる。