「殺すな」から「殺す」へのあいだに

 本日も会田誠展の感想文の続き。
 「殺す」はLEDチーブなどで、ただ殺すという字を筆記体風に組み上げたオブジェのような作品で、天井からぶら下げられている。
 しかし当日はこれを目撃した記憶がない。でも図録の会場写真には写っていたので、あったことは間違いないだろう。現場にはほかにもいろいろとショッキングなものが垂れていたので、そちらに目が奪われていたのかもしれない。
 さて、その「殺す」と画かれた流れるような達筆な字というかオブジェを見て、連想するのはとうぜんだが岡本太郎の「殺すな」であった。
 たしかベトナム反戦運動のさなか、べ平連が中心となってアメリカの新聞、たぶんワシントンポストにだったと思うけれど、そこにアメリカに抗議する広告を掲載する活動があって、その中心に描かれたのが岡本太郎の「殺すな」という文字だった、と記憶している(未確認)。
 さらにその字は、イラクへのアメリカ軍の侵攻に反対する国内の新聞広告にも使われた(これも未確認)はずである。
 会田誠の「殺す」は、それを前提にした作品であると考えざるを得ない。ただ岡本の字は会田の字のようにポップではなかった。そこには彼の絵と同様に躍動感と危機感が混在していた。もちろん会田のそれが岡本のそれであるはずもないし、べきでもない。
 LEDによって赤く明るく輝きつつ、楽しげにポップに存在している「殺す」は、ギリギリなところまで来て、「殺すな」と裏声で叫んでいるようにも見えるのだ。