肉眼では見えないモノ

 暖かいというか、暑いといってもいいほどの土曜日、またいつものように近くの公園を散歩する。
 歩き出して、十秒もしないうちにコートを着てきたのを後悔して、その重い荷物を左手に持つ。さらに本を持参しなかったことも残念に思う。この陽気ならベンチで少しの時間だけでもあの続きを読んでみたかった。
 しかも休日、だから人出がだんぜん多い。オマケに飛ぶ鳥も多い。小道の上を森から池に、池から森へいろんな種類の鳥たちが頭のすぐに上を舞うようにして通り過ぎる。そしていつものカワセミ・ポイントに到着。しばらく様子をうかがうことにする。
 先日来たときはその手前の池の中に浮かぶ大きな浮き袋(のようなもの)に留まっていたカワセミを見たが、今日はそこにはいなかった。
 そしてたたずむこと数分。枯れた草が動くのが見えた。すぐにそこあたりへと双眼鏡を向けてみると、枯草の生えているその先にカワセミがいるのを確認できた。先日と同様に、その身体はあまり鮮やかではない。腹の部分は黄色というよりも黄土色で、背の青さにもくすみが入っている。最初くちばしが見えなかったので、カワセミと思わなかったほどだ。
 その色の具合は、まだ生まれて間もないからか、それとも逆に年寄だからか、あるいは季節的にものかはわからない。でも腹の色は枯草とほぼ同じだから、カモフラージュの役目はしっかりはたしている。
 肉眼で見るとどこにいるのかがわからない。だからまた双眼鏡で眺める。するとちょいっと飛び跳ねて一瞬行方不明になり、またすぐ元の近くに帰ってくる。今度は小魚をくわえている。そして刹那それを飲み込んでしまった。カワセミを目撃する機会は多いけれど、魚を飲み込む瞬間はなかなかお目に掛かれない。
 小さくて安い双眼鏡だけど、それでも肉眼ではとても見えない世界を覗かせてくれる。近くで何も持たずに眺めていた人は、今日はいないね、といってすぐに帰っていった。
 さて、ほかの風景やもろもろなモノを見るためにも、それなりの双眼鏡を持っていたほうがいいのだろうか。世の中には「今日はいないね」といって見ないほうがいいコトもあるけど、どうだろうか。