金箔上の蜚蠊の緊迫感。

 さて、突然ですが、ゴキブリという漢字を作るのがめんどうくさかったので、書かなかった「会田誠」展の感想文がまたまた続きます。で、どうしてかは以下の通り。
 その二枚の絵は展示会場の比較的入り口近くにあった。タイトルは右が「火炎縁蜚蠊図」、そして左が「火炎縁雑草図」だ。もちろん蜚蠊はゴキブリである。作字をするのがたいへんと思っていたけど、今回はどこかのサイトにいってコピペしてお茶を濁す
 ともに同じ大きさで、同じような火炎をモチーフにした「枠」に囲まれている日本画風の右の絵には、金箔を敷き詰めた画面にとても小さく一匹のゴキブリが描かれていて、左の絵には黄土色の画面にまんべんなく、まさにどこかの空き地のように雑草が茂っている。
それはともども日本画の体裁を精緻に踏襲している。もしどこかに何らかの緩みがあれば、表現そのものが成立しないという緊迫感がみなぎっている。 
 意図は明瞭だ。絵とは愛でるべきものを対象とすべし、という「すべし」とするまでもなく自明であることを、単純明快に揶揄している。忌み嫌うもの、排除すべきもの、その描写が今までのすべての美的表現の対象の意味を照らし出している。
 ところで今まで数多のゴキブリを見てきて(といって最近はトント姿を現さない)、その都度ぞっとしたのだが、この蜚蠊には、初めてぞっとしなかった。いや、やや美しいとさえ思ったのだった。