非存在的存在感VS存在感的非存在?
そういえば、昨日触れた「最高の離婚」の主人公たち、かなりの豪華キャストだよね。
しかも四人のうち三人は、それぞれ大河ドラマの幕末モノに出演している。瑛太は「篤姫」のときの薩摩藩の小松帯刀、真木よう子は「龍馬伝」の龍馬の妻、お龍、そして綾野剛は、「八重の桜」の会津藩主の松平容保。世が世ならば、お互い斬りかかりそうな立場ではないか。いや、お龍は容保にハサミを持って立ち上がったか。おーコワイ。
あっそうか。これからやってしまったら切ってもいいと容保はいったけど、お龍はこれまでのやってしまったことに対して切りたかったわけか。うーむ。
ちなみに綾野剛と尾野真千子は「カーネーション」の一晩限りの最高の恋人という関係だった。で、どうなのってことではないのだけれど。
話題が続かないので、「泣くな、はらちゃん」にチェンジ。
この前の放送分はよかった。工場長の死ははらちゃんとの会話でちょっと予想できたけど、ホントに死んじゃったあたりで、私は加藤武ふうに、「よし、わかった」とツレに宣言してしまった。
「工場長はマンガの世界に行くぞ」
そしてその通りになる。
さらにあの居酒屋の女性というのは、ほかのキャラクターと違って、もともとの作者である薬師丸パート長の関係者だったと、私は睨んでいる。
しかし非存在から存在になるのと、存在から非存在となるのとでは、まったく違う。ということは、あの女性と工場長はもうこちら側に来ることはないのだろうか。来てしまったら、ただのオバケだし。
でも、今回の放送でとみに思ったのは、こちら側がかなりマンガの世界に近いということ。で、もしあのノートにたくさんのことを描き込めば、あるいはこちら側へと通じるドアを描くだけでも、すごい展開になる、ということ。さて、今後のお話が楽しみだ。