村山定男さんのこと、その二

 というわけで、最初にゴリゴリと社会をはこじ開けて、入った会社がなんとナントの勅令、(すみません)学参もの、つまり学習参考書を主に編集するプロダクションだった。
 そのわけを書いていくと、またまた横道に逸れるどころか脱線してしまうので、封印しておいて、この小さな会社の上司、といっても当時はたぶん二十代の後半の理科の担当者が、何か手紙を持って、感動に打ち震えているのでした。
 で、聞いて聞いて、彼がすがりついてくるので、は、はいとその震えの意味を問うと、なんと科学博物館の村山定男さんに質問した答えが、丁寧な手紙として返ってきたのだという。天文ファンであった私としても、前に書いていたように村山さんのことは知っていたので、その感激を共有することができた。
 で、その質問はというと、あれれれ、忘れてしまった。(続く)