家の記憶 三

 いつものように話が脇道に逸れる。昨日書いたように、伯母の家には私が物心がついた頃から電話があったのだが、自分が住んでいる家に電話が入るのは、かなり後になる。1960年代末(意味もなくあいまいにしている)まで葛飾柴又にアパート住まいだった頃は、電話を引くという発想そのものがわが家族にはなかったはずだ。現代はアパートでも電話があった時代を通り越して、ケータイがあれば家電はなくとも問題なし、である。
 というわけで、親の親戚などは何の予告もなく家を訪ねてくる。ほんとうに、フラリと寄ったという感じで、まさになんとも昭和なのである。昭和そのものであったのだから、当たり前だが。
 たとえば、ある叔父さんがやってくると、私たち子どもたちに全面的に移管されていたテレビのチャンネル権があいまいになる。わが家では誰も野球やプロレスに興味はなかったのだが、世のオジサンたちはそれをテレビで観るというのが、夕方以降の定例行事となっていた。かくして権利はいともたやすく奪われたのだった。鉄腕アトムやディズニーランドを観るべき夕べ、複雑な思いで、私たちは、何度か読んだ「科学」や「学習」をまた開くのである。