家の記憶 四

 ここ数日、家の記憶について書いているが、どうしてなのかというと、もちろんか伯母さんが先日亡くなったことが理由なのは間違いないのだが、それと同時にここ何日かまたタルコフスキー「鏡」を観直して、深く考えていることにもあるようなのである。
 タルコフスキーは田舎にある母親の実家で生まれた。いわゆる里帰り出産なのだろう。その三年後にはまた同じような田舎に移っている。さらにいったんモスクワに出たあと、また別の田舎に疎開している。つまり幼少期に三度の田舎体験をしたわけだ。そのあたりの事情はここでは書かない(どこで書くんじゃい)が、もともとインテリの都市生活者とおぼしき家庭環境にあって、この田舎での生活は、もともとそこが家庭環境、というか文化環境である子どもとはまったく違う影響を与えたに違いない。
 いやいや、そんな書き方は生ぬるいか(と珍しく激しい)。彼の作品のすべての源泉は、たぶんこの三度の田舎体験にある。
 と出し惜しみつつ、ここでタルコフスキーについては終わり。