五反田今昔ストーリー その七

 というわけで、飲食はとにかく基本的には自腹がいいよね。まあ、たまに友人に奢られたり、ツレにごちそうするのはもちろんありだけど、と突然文体を変えてみたりしている。
 というのも、ね、会社の金や取引先の(必要以上の)接待は、食べる、飲むことの楽しさの根本的なところで、阻害しているような気がする。
 と、また五反田の続き。
 子どもの頃に五反田に連れていってもらったことがあるそうだが、あの力士のテーブルで踊ったということを含めて、その記憶はまったくない。そう語ってくれた人たちも多くが五反田の墓の中にいる。
 そして五反田が記憶の風景として現れるのは、前に書いたように学生になってから。その大学の学生たちは、飲むとなると三派に分かれた。それは目黒、五反田、品川の三つだが、品川というのは少数派で、目黒が最大派閥、五反田は中途半端の中間派といったところか。
 もちろんこれは基本的に当人、もしくはその友人連中の帰宅コースに由来する、と思う。
 そういえば、当時は目黒に巨大な飲み屋街が存在していた、なぁ。山手線の外側に、やや坂道になったその入り口的なところがあって、そこから昇っていくように進むと、丘のようにも感じる斜面に、魔界のように小さな店舗が数え切れないほどに軒を連ねていたはずだ。しかしグーグルの地図で確認すると、現在そのあたりには大きなビルが建っている。
 ただし、私は五反田派なので、魔界のようなそこを訪ねたことはほんの数回だけ。その少なさがまた魔界性を伴った記憶を強めているのかもしれない。
 あれ、五反田の話が続かなかったな。