五反田今昔ストーリー その九

 ではその五反田新開地での出来事、といっても直接見たわけではなく、のちのちの語り草になっているだけで、大したことではないので、なーんだ、といわんといてください。
 さて、それでは始まり、始まり。
 それは年末の慌ただしさを感じる寒い夜のこと、なぜか私はその場にいなかったのだが、サークル(あえて名を秘す)の一年先輩方五人ほどが、自分の財布と相談の上で、長い長い坂道を降りて、いつもの新開地のいつもの「棚」の前に鎮座すべく、五反田の山手線ガードをくぐっていったとさ。
 ほんとはその先の大橋家で、おいしい焼き鳥でも、といった気分だっただろうが、やはりそこだと、ものの30分でフトコロのカラータイマーが点滅を始めてしまうのだ。
 よって御一行はなんの相談もなしに、持参の10本の足が自然と目黒川を渡らずに、左へと曲がるのだった。
 と、その日はいつもの10センチ棚側ではなく、ちゃんとした(当店比)カウンターの席がしっかりと人数分空いているではないかいな。これこそまさに20世紀の奇蹟だったのだが、どうしてそんな奇蹟が展開していたかが判明するのは、後の祭りのその後となる。
 まずは瓶ビールを二本、それをおのおののコップに注いでの悦楽のひと時。生ビールなんぞは別の世界の物体である。瓶ビールを各人一、二杯飲んだ後は、コップ酒となるのが定番のコース。
 肴はカリカラのゲソとかエイヒレ、豚の煮込みは高級品。
 彼らはまるで街角のパフォーマーのごとくにスローモーな動作で、目の前のアルコールとその他の低減を、遅らせようとするのだった。
 そして、その御仁はその場に降臨したのである。といっても、最初から彼らの隣に座っていたんたけどね。
 アルコール類を点滴のような速度で摂取しつつ世界平和を語る先輩諸氏の方を向いた隣の席のおっちゃんが、彼らにこういったのだった。
 「おお、おにいちゃんたちよ、いいこというじゃねえか。これは俺のおごりだから、飲めよ」
 この天使のささやきがごとき一言が、のちの地獄への道程を告ぐるアナウンスであったとは、先輩諸氏の誰も気づくことはなかったのである。続く。