五反田今昔ストーリー その十四

 ということで、彼は少しだけ残っている酒酔い気分をエネルギー源にして、殺気(いや生気か、いや違うか)みなぎる緊急救命室の手前で、看護婦さんのハサミを押しとどめたのだ。
 彼は想像した。もしここに横たわる友人が目を覚まして、自慢のコートが切り刻まれているところを見たとしたら、どんなに嘆き悲しむだろうか、と。
 「ちょ、ちょっと待ってください。脱がせますから、はい、やりますから、ちょっと、ちょっとだけ……」
 するとくだんの看護婦さんは、ふっとため息を漏らし、そして苦笑した。
 それはそうだろう。一生懸命、救命処置をしているのに、たかがコートの一枚や二枚でその手を遮れらたのである。しかしあとで何をいわれるか、わかったものではない。その気分が彼女の腕の動きを留めたのだった。
 「それじゃ、すぐにお願いします」
 といいつつ、その看護婦さんの腕はまた動きだし、ストレッチャーの上に横たわるかの御仁から、命の次に大事なコートを脱がすのを手伝ってくれた。
 彼は、グググールッ、とか、ゲゴッドグギッガゲ、とかいうまるで「皆勤の徒」の社長のような異星人の言語を発しつつ、その作業に身を任せている。
 幸いすぐにコートは身体から離れ、看護婦さんはそれを器用にグルグルとまとめ、御仁の友人(以下Hとする)に渡す。
 そして、「あとはこちらに任せして、廊下でお持ちください」というが早いか、ストレッチャーはカーテンのその向こうへ消えていのだった。
 H氏の手元には、泥と血と何かで汚れ切ったコートが残されていた。