五反田今昔ストーリー その二十二

 さて、Tがいかに牛丼好きだったかといえば、まず三度の飯をすべて牛丼とし、さら次の食事も牛丼で可といった人物なのではあった。
 自身、これを誇らしげに第四ギュードンと称していた。あるいは他に誰もいるはずもない牛丼主義者を糾合し、革命的牛丼主義者同盟日本支部を作ると、日々語ってもいたのだった。
 そんな彼だからこそ、養老の瀧が出前を始めるチラシを見ると、今ぞ日は近し、とばかりに、まさに生涯二度とはない満面の笑みを浮かべるのである。
 当時の大学のサークルBOXにはなぜか電話があった。その受話器を彼はむんずと掴み、にわか牛丼主義者を周りから募って、合計四つの牛丼で代金1000円也の出前を注文したのである。
 確かにそのチラシの対応範囲には大学の所在地があった。しかしそれはあまりに遠い。しかもその養老の瀧からはすべて上り坂なのだ。
 だから日和見牛丼主義者たちも、どうせオートバイか軽自動車でやってくるもの、と気楽に考えていた。当時はピザの宅配を真似たのか、牛丼も注文から30分以内でお届けします、とかやっていたかと思う。
 で、しばしの間の後に、遥かに遠い坂道の下の養老の瀧がある方向を、双眼鏡で眺めていた一人が、驚愕の声を上げることになったのだった。