五反田今昔ストーリー その二十六

 さて、その正式名称「酒は天下の太平山酒造」とかいう居酒屋に通うようになったのは、くだんの新開地にはあの悲劇があったゆえに、もう行けなくなってしまったからに他ならない。
 少し前にその居酒屋がちゃんと営業していることは確認済み。ごく普通の引き戸を開けると、左に細長い座敷が奥へと続き、右側はカウンターのはずだが、そこを使ったことかないのであいまい。
で、その右が厨房だった。そして店のさらに奥にはやや広めの空間があって、炉辺を模したテーブルや何やらがあった。そこか、あるいは座敷の一番奥あたりが、七十年代後半の我々の、なんちゃうか、いわゆるひとつの、いろいろと語らった場だったのではある。
 その店で注文したのはビールではなく、もっぱりコップ酒。たぶんそれが一番コストパフォーマンスがよかったからだろう。桝の中にコップが入っていて、それに店員が目の前で一升瓶から酒を注ぐという、これもまた原初的パフォーマンスではあった。
 貧乏学生たちは店員を囃し立て、コップから溢れて光りながら、桝に滴り落ちていく透明な液体に、目を輝かせたのである。そしてコップの酒を飲み終われば、おもむろに桝の中の酒をコップに移して、一気にあおるのだった。直接、桝に口をつけようとしなかったのは、うーむ、やっぱり桝があんまりキレイでないと思ったからなのかなぁ。ということで、豪快さはまったくなしなのである。