不必要の必要 その二

 そんなわけで、このところ腕時計のない生活を過ごしているのだが、その代わりとなっているのが携帯電話、いわゆるケータイだが、これをポケットから出すのが面倒なので、時計を気にする回数が少なくなっている、などということは昨日書いた。
 しかし問題はこのケータイなのである。時計代わりに使って気づいたのだが、ケータイを私はほとんど使っていないのだ。日常的なお仕事から遠く離れて、いや近くにあった時分にも使用頻度は、勝手な想像だが他の人に比べてかなり低かったに違いない。
 ということで、私の身の回りではモノの役割のドミノ現象が起こっているのである。そういえば、昨日の早朝に家の電話の方がワン切りされた。これはもしかすると、家デンが目覚まし時計の役割にメタモルフォーゼする予兆ではあるまいか。
 ということで、話はまた変な方向に進みつつあるが、たぶん続くはずなのである。