不必要の必要 その十

 ちなみに望遠鏡にはそのレンズ、または鏡の直径により分解能と呼ばれる性能が規定されていて、どんなに気象条件などが良くても、見えるものの限界がある。彼が描いたその筋はたぶんその限界を超えていたはずである。
 などエラソーに書いても、スケッチの描かれ方を理解できなくもない。その火星大接近の時期より前に、アポロ少年となりにし我は、小遣いを貯めて十センチ反射望遠鏡を買っていたのだが、それで火星を観ても、条件がいい時でさえ白い極冠と茶色と緑色のかすかな模様が確認できるだけだったのだ。雑誌などのアナウンスではその大接近の時期にちょうど火星表面で大きな砂嵐が生じているという。今回のアイソン彗星の例しかり、ジャコビニ流星雨しかり、天体現象の未曾有のイベントは得てして予期せぬ禍により、成就できないのである。
 と前置きの前置きが長くなって、いったい話がどちらの方向に行くのか、その感覚まであやうくなりそうだが、そんな火星を観る前から、惑星観測といえばまず木星が定番なのである。
 水星はせいぜいその存在確認ができるかどうか、金星もその満ち欠けのみ、火星は接近時以外には極冠が観えるかどうか、土星はそのリングは見事だが変化に乏しい、ただその傾きは何年か観測できれば面白いかも。そういった点で木星だけは変化に富む惑星なのである。なぜかといえば……、ということで続きはまた今度。
 話題は遥か彼方に飛んでしまっているけれど、そのウチ超楕円軌道を経て、「不必要の必要」に戻ってくる、かも。