不必要の必要 その九

 かくいうわけで、1967年に発行された愛しの図鑑『宇宙旅行』は、いまでは考えられないほどの、宇宙開発華やかなる時代の波にもまれるわけだが、その顕著な例をまた火星探査についての記述で見てみよう。
 この図鑑では火星についてその表紙にあるようなイラストを基本に、いろいろと語られていくのだが、その最後のページには65年のマリナー4号によって、表面の一部が撮影されたことを受けて、撮影された写真には火星表面の筋が映っているはずだが、驚いたことに月と同じような噴火口があって、それは学者たちの思いも依らなかったことだった、としているのだ。
 このような錯誤の歴史はとても興味深い。かつての科学者が使った「運河」の意味の違いから、人工物であるとの錯誤が生じてしまった、という火星の運河にまつわる話は有名だが、その出来事によってくしくも全世界的な規模で発生してしまった期待感が、以降のプロアマ問わずの望遠鏡による観測史に、大きな影響を与えてしまったのではないか。
 すでにここで書いたかもしれないけれど、私が高校生ぐらいの時に、火星が大接近するということが話題となり、天体ファン向けの雑誌もここぞとばかりに、火星観測に関する臨時増刊号を発行したことがあった。
 その中の記事に、長年自作の大きな反射望遠鏡で火星を観察している年配のアマチュア天文家が紹介されていて、その記事には何枚もの彼の火星のスケッチには明瞭な筋が描かれていたのである。
 茫漠とした期待感やら既得の認識感覚とやらは、その望遠鏡の精度以上にモノを見せてしまうようである。