不必要の必要 その十三

 まあそんな感じで、私のあやふやな木星スケッチは描かれていったわけだが、この星のスケッチは歴史的にも、個人的にも大きな錯誤はたぶんなかったのではないか。というのも、木星は太陽の動きが邪魔しない限り、ほぼ同じくらいの大きさで見えているので、なんら焦る必要はないのだ。
 これに対して火星は公転軌道の関係から、大きく観ることができる時期がとても限られていて、その機を逃すとほとんど観測することが難しい星なのである。
 そういった余裕のなさも、また火星に「運河」を生じさせる要因になったように気がする。
 さて、図鑑『宇宙旅行』を取り上げたことで、どんどんと話は軌道を逸れてしまったのだが、これを何十年かぶりにネットで買って開いた瞬間に、ちょっと驚きの現象が起こったことが、ほんとうの話のとば口だった。
 というのも、もちろんこの本が懐かしくて買ったわけで、ある程度その内容を憶えていたのだが、久々のご対面時には、それぞれのページに掲載されている細かいイラストまで、ちゃんと記憶の隅に置いてあったことが分かったのだ。
 これをどう表現したらいいのか。つまり記憶していたことを忘れていた、とでもいったらいっておこうか。
 もちろん甦ってくるのは、それらのイラストの記憶だけではない。その頃、この本を開いた頃の感覚までもが、すーっと再生されてくるのだ。これはとても面白い体験だった。