不必要の必要 その十四

 話は軌道から遥か彼方まで逸れていったので、はたしてもともとの軌道がどこら辺にあったかさえ、茫漠としているのだが、つまりは買った本には、本人がほとんど忘れていた記憶がテンコ盛りで詰まっていることがある、ということなのだ。
 このあたりがあの「本は読まなくてもいい、買うべきなんだ」的にご託宣につながるのである。
 もちろんあの図鑑は、当時まだ数冊しか持っていなかった本の中の貴重な一冊であり、まさになめるようにして読み、また見た本だったのだが、その本自体との対面がなければ、埋もれていた記憶を発掘することもなかっただろう。
 本は読まなくとも、それを選択したことの理由は残る、というかある。どうしてその本が自分の手元にあるのか、その理由を認識することは、その本を理解していることの、ある程度の割合をクリアしているにはならないだろうか。
 そのタイトルに興味を持ち、本屋で手を伸ばして取り、ページをめくってその数行を読み、だいたいの内容を掴みつつ、そして想像し、目次の並びを確認して、小説ならばその物語を、評論ならばその展開を考える、自分の手元には本があるということは、そんな過程をへてということなのだ。
 具体的に書名を書くと恥ずかしいので、あえて隠すが、高校生の時分にとある月刊雑誌を年に数冊程度購入していたことがある。
 で、貪り読むというほどではないが、当時としてはかなりイラストやレイアウトが充実していたその雑誌を何度も眺めて、チラ読みして楽しんだものだ。内容はまたいつものようにほぼ忘れていたのだが、一つだけとても気になる短編小説があったので、何十年かぶりにその雑誌を何冊もひっくり返して、やっと見つけてその作家名を確認すると、なんととある有名個性派作家の作品だったのだ、ということもある。この四半世紀ぶりのその作家の再会というか初対面は、とてもスリリングで味わい深いものだった。