不必要の必要 その二十五

 そして本が食べきれないほど増えていった頃、思い出したのが、あの「本は買うだけでも意味がある」という碩学の言葉なのである。その真意をつかむことなく、数十年がドンガラドンと過ぎ去ってしまったが、ようやくそのしっぽぐらいは見えてきたような年の暮なのではあった。
 本屋に行って、書棚を眺め、その内容と価格に唸り声を身体の中で上げつつ、そのときの財政事情と気分と勘違いによって、カゴなどに入れて、レジへと向かう。その他愛もない動作が、あるいは神聖な儀式ではないか、ということなのである。
 その儀式によって、本を峻別するという知的飛躍により、実は本のある部分を自分のものにしているのではないだろうか。まさにここがロードス島だ、ここで跳べ、なんてね。