60年代のホカホカ

 その『ギャバンの帽子、アルヌールのコート』を読んでいて、ある文章にはたと目が停まる。そこには何十年も前に冒頭のシーンだけを鮮明に憶えていた映画の、まさにその場面が描写されていた。
 その映画をテレビで観たのは小学生の頃、つまり1960年代の後半だから、もう半世紀近く前ということになる。
 海水浴場を突風が襲い、少年が乗っていたカヌーが転覆する。波に衣服を剥がされた彼はそのままで子どもたちが遊ぶ海岸にたどり着き、その姿は女友達にも目撃される。彼の身を隠すのは風に飛ばされた子どもの帽子だけだった。
 映画の名前は「青い麦」。なんともなぁ、というタイトルだがアマゾンではDVDが900円ほど。早速購入したが、まだ見ていない。
 この映画は1953年の作品ということだから、十年と少しでテレビ放送されたことになる。今の感覚でいうと2000年代の制作、まだホカホカである。
 私が小学生の頃はまだウチのテレビはモノクロ、というか白黒で、新聞のテレビ欄は数少ないカラー放送をマークで表示していた。
 だが映画の放映はどんな作品でもモノクロ映画。とうぜんその記憶もモノクロということになる。
 子どもが一人で大人向け映画を観ているはずもなく、親といっしょにテレビ画面を眺めていたのだが、その時代は十年後や、ましてや二十年後の映画では望むべくもないほどに「安全」だったといえるだろう。幸いにして私はたぶんその画面を指さして「あれ何しているの」と問うたことはない、はずだ。