万博との44年ぶりの再会 その五

(続き)
 例えば、そこにいてその東芝IHI館の映像を観た私は、きっとロバート・キャパの写真を見たはずなのだが記憶はまったく残ってはいない。そしてその写真の意味を知るのは、ずっと後のことで、そしてまた現在はそのキャパがキャパとなりえた写真の、また別の意味さえも知ることとなる。
 ちなみにこの写真展示はマグナムの写真家たちの作品だったのだという。
 さて大阪万博の前の万博は、1967年にカナダで開催されたモントリオール博だったが、その様子を私はマンガ雑誌のグラビアページで知った。
 当時この巻頭ページのはたしていた役割は大きいと思う。原水爆戦の悲惨な結果なども、爆心地を東京に仮定した被害予想として特集されていた。
 ともあれモントリオール博。そこには超近代的な建物が並び立ち、最先端の技術の成果を身を以て体験できるというマンガ雑誌の解説に、小学生だった私はまさに釘づけなっていた。そしてそれと同様な催しが日本でも行われるというのだ。その地は大阪、まだ伊豆半島ぐらいまでしか行ったことのない子どもにとって、大阪はまさに別世界、つまり別世界の地にあと三年すると別世界がやってくるのである。
 ただ小学生にとって三年後は未来永劫に近い。はたしてそんな日は到来するのだろうか。(続く)