万博との44年ぶりの再会 その六

 (続き)ところで、件のモントリオール博で目立っていたのは、映像展示が多かったことだ。日本での万博開催が決まったが、はたしてどんなことをやったらいいのかと、まったくの暗中模索だった参加者たち、とくに国内の企業館のスタッフはこぞってこのモントリオール博を観に行ったという。
 そして結論として、自分たちも映像を主体とした展示に方向性が決まっていく。それに対して外国館の担当者は逆の反応が多かった。モントリオール博でいやというほど映像を観たから、今度は違ったアングルで自分の国をアピールするべきだ、と思ったのだろう。
 その最たる例として、私はチェコスロバキア館を記憶している。モントリオール博では映像がメインで評判を呼んでいたが、大阪ではその路線を完全に捨てて、その国は彫刻などの展示物で自らの国を表現していた。その中に、二年前のプラハの春の片りんがあったのかどうかはわからないが、人物をデフォルメした鉄の彫刻の群像は、実物として中二の脳みそを刺激してくれた。(続きます)