万博との44年ぶりの再会 その七

(続き)
 つまり大阪万博の一つの特徴といえるのが、国内企業館の多くが映像を主体とする展示方式を取ったのに対して、外国館の多くはそれから脱却しようとしていたということだ。
 月の石やアポロ宇宙船のあるアメリカやソユーズなども持ってこられたソビエトは、まさに見世物に不足はない。そういったものがない国々も、ただ一つの映像を愚直に見せるのではなく、なんらかの回廊を設定して、その要所要所に映像や事物を配置しているという構成が多かった。
 その中にあって画期的だったのが、きらびやかな光の彫刻ともいうべきパビリオンそのものを展示物にしたスイス館、そして巨大な杉の木をそのまま組み立てたブリテッシュ・コロンビア州館だっただろう。それらははなく、外部そのものを展示物にしてしまったのである。なにより並ばなくてもいいし、名前さえ認知してくれれば訴求効果も大きいといえる。 そしてまたそのコンセプトはほかの展示館への緩やかな鵜アンチテーゼにもなっていたような気がする。(続く)